東江海岸Ⅲ

有光智彦

2011年02月04日 12:56

先月16日以降更新していなかったので,その後がどうなったか
わからなかったと思います。この間の記録は「北限のジュゴン調査チーム・ザン」の
ブログ(このブログのフレンドブログから移行可能)に詳細があります。
どうぞそちらを参照ください。

私は,ザンのチーム,地もと東江の人々,名護の市民たちと共に
活動をしてきました。
私たちの主張は,高潮対策の護岸工事は重要であるが,
海とそこに住む生きものたちのことが県民に全く知らされず,論議もされないまま
埋めようとしていることに対し,海の現状を知り,また砂を入れ埋めなかった
場合のリスクを含めて行政と県民が最良の方法を検討する場を設定してほしいと
要望してきました。

ここで今一度立ち止まり海と海の生きものたちのことを
考えてほしいのです。県民の財産である海の現状を知らされないまま工事が
実行されようとしているのです。これは,過去沖縄の開発が始まって以来,
続いてきたことです。

海は外から見ただけではわからないし,陸地のように
誰もが見れるわけではありませんから,埋め立て工事がされても,そこに
たくさんの生きものたちの営みがあり,生き埋めにされてきたことも,
県民の耳に入ったこともないのです。

既に出来ている人工浜の砂の下には,砂で埋められる瞬間まで
元気に生きていた生きものたちが今でも埋まっているのです。
そのことを想像できるでしょうか。
また,あちらこちらの埋め立て地の下も同じです。あなたが買い物をしている
マーケットの床から数メートル下に生きものたちが,命を絶たれたその瞬間の
状態のまま埋もれているのです。

命とはなんでしょうか。
人間だけにあるのでしょうか。
他の生きものは取るに足りないものなのでしょうか。
または,食べ物であって命を語る必要もないのでしょうか。
たった一つの地球上で無数の生きものたちと私たちは暮らしています。
この実感が持てますか。ここが一番大切なことです。
人間だけの地球ではないのです。
新参者の人類が地球を征服し人間本位の生き方をしていることが
悪の根元ではないでしょうか。私を含め。

環境学習会で一人の女性が言いました,行政を一方的に非難することが
多いが,我々はどうなんだと。
自分自身の生き方を問い直さないと何の解決もあり得ないと。
真理だと思います。
合成洗剤の代わりに石鹸を使えば,海や川に与える影響も少なくできます。
そのかわり,衣類の表面に石鹸のシミが一時的にできるかもしれません。
しかし,少し我慢すればたくさんの生きものが安全に暮らせるのです。
台所や洗濯機の排水はパイプを伝って何処へ流れ,どう処理されているか
考えたことがあるでしょうか。
マーケットの食肉や卵はどのように育てられどのように殺された生きもので
あるか知っているでしょうか。
私たちの背後にある事実を知ったとき,愕然とし,生きものたちに申し訳ないと
思うことでしょう。
私たちの日常の背後にあることを知ろうとすることがとても大切なのです。

北部土木事務所は,砂の投入を延期しました。
しかし,それは,私たちが出した要望の調査が完了するまでのことです。
行政と研究者,県民等が一同に会し防災と海の全ての情報に基づいて
今後の沖縄の海のあり方を徹底的に論議する場を設けてほしい要望は
受け入れられていません。
行政側は,台風シーズンまでに工事を完成させたい意向です。
これは最もなことです。
しかし,話し合いの場を設ける時間すらないのでしょうか。

既に,砂を投入する海に汚濁防止膜が張られています。



沖縄の山も川も海も,そこに住む生きものたちや生態系のすばらしさを県民
に知らされないまま40年間以上公共工事が続けられてきたのです。
しかし,それを許して来た私たち一人一人(私も自覚していなかった)の責任
でもあるのです。国や県の行政だけが悪いのではないのです。
無関心だった私たちに原因があるのです。

今日も,300年ぐらい生きてきた巨大なハマサンゴをはじめ,その周辺に
住む無数の生きものたちは人間によって命を絶たれるまでの時間をただ
淡々と生きているのです。
彼らは,一言でも抗議することはできません。



今朝の新聞にもサンゴの移植事業に募金の記事が載っていました。
サンゴ移植を題材にした映画の影響は大きいようです。
しかし,サンゴの移植をすれば海は回復するというのは早計です。
干潟や砂地,岩礁や藻場,サンゴ礁生態系などの様々な環境があり,
それぞれの場所に適した生きものが生きていることが最も大切なことです。
それぞれはみなつながっています。
海全体の保全をしなければ意味をなしません。

東江の海は小さな海かもしれません。
しかし,それは向こうにも同じような海があるから,ここは埋めてもいい
ではないか,という発想はナンセンスです。
東江もどこにもない固有の生態系があるのです。

県行政はクマノミとサンゴを移植したから環境を配慮したと言います。
大型ハマサンゴは他にもありますよと言います。
そうではないはずです,すべて固有の命です。
300年という長い時間を東江の山や川や名護湾の環境とともに
生きてきたのです。
1つしかありません。
そのハマサンゴの形や状態は,そのような環境の変化の中で
形成されてきたのです。そのことに意味があるのです。





このハマサンゴの巨大な体に様々な生きものが住み着いています。
さながら共同住宅です。相棒は,このハマサンゴをサンゴ礁生態系の
縮図のようだと言っています。





県行政はハマサンゴ全体を埋めず,上半分が砂の上に出るように
することはできますと言いますが,それは違うのです。
ハマサンゴだけが生き残っても意味が無いのです。
埋められようとしている海には,海草藻場があり,岩礁,砂地があり,
ヒトデにナマコ,魚に貝などを全部含めて一セットなのです。また,
言うまでもなく,周辺の海とも連鎖しているのです。



それともう一つ大事なことは,サンゴの被度や生きもの数,種類やその周辺が
美しいとか汚いとかいうような判定要素は,調査の方法であって統計資料を作成
する上の指標です。
このように埋めようとする海域のサンゴや生きものが少ないから
埋めてもいいという判定に用いるものであってはならないということです。
「命」という最も根元的なものに立ち返らなければ,我々人間としての
存在意義を自ら破棄するに等しい行為のように思います。
そこがどんなに荒れた環境であっても,そこには生きものの営みがある
のですから。たとえ一匹であっても。

おそらく,東江の海も他の海もそうですが,その海の現状は全体として
バランスの取れた状態だと思います。
一例では,海藻をウニが食べ,岩肌が出た表面にサンゴが根付くのです。
人間のインパクトが減ると,環境が少しづつ変わっていくことでしょう。
サンゴが少ないから傷んだ海とは言えないと思います。
海藻が多い海,サンゴが多い海,それぞれ生きもの同士の微妙なバランスの上に
成り立っているような気がします。



この問題に関わってきて,海の認識以外にも大きな問題が見えてきて
います。それは国の補助金を使っているので,その約束事による制約が
あるのです。これを守らないと金が出なかったり,事業内容の変更が
生じた時の事務上の困難さなど様々な制約があるようです。
これは,赤土汚染の問題を提起した故吉嶺全二さんの指摘した沖縄における
国の公共事業の問題点とも一致するものです。
その問題を未だに未解決のままここまで来ているのです。

真っ向から自然保護の問題を提起し,行政側が理解しても,このような国の制度
の問題がある以上,日本全国で現在も引き起こしている公共事業による
自然破壊は無くならないことでしょう。

これを変えさせるには,一人一人が身近な問題を自分の問題としてとらえ,
考え,発言し行動していかなくてはなりません。
大変なことですが,各地でされざれの動きが出て来ています。

大切なことは,自らが変わることです。

あなたは,どう思われますか。


明日,東江の現場の浜(既に完成している人工浜)で小さな写真展を
行います。東江の生きものたちの素顔です。
お近くにいらしたときはどうぞ見ていってください。



私の傍らで家族のファルコン(噛み付き猫なのでファルゴンと改名を検討)が
すやすやと眠っています。
ほっとさせられます。


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