自然と人間

有光智彦

2011年03月14日 01:51

今回の地震と大津波,さらに原発の事故は現在のわれわれ人類に
大きな警鐘をならしているように思います。

おそらく,過去の津波災害を受けてきた三陸のリアス式海岸では,護岸を
はじめ防災対策は手堅く行われてきたことでしょう。
しかし,ニュースの画像を見ると,自然の力にはどのようにしても
人間は立ち向かうことができないことを誰もが自覚したはずです。

何故このように自然は過酷なのかと一人の方がニュースで言って
おられました。

でも自然が過酷というのは,この地球の地殻の活動が46億年経ても
続いているということに他なりません。
そのような星の上に住んでいることを自覚しないと,同じ事の繰り返し
のように思います。

私が住んでいるのは借家ですが,裏がすぐ海です。
おそらく直下型の地震により津波が来たら逃げる時間はないでしょう。
そのような海辺に住むことが間違えなのかもしれません。
福岡市で大きな地震があった時,埋め立て地は液状化現象が発生して
いました。沖縄は埋め立て地が非常に多い島ですが,巨大地震が
発生したとき,大丈夫なのでしょうか。


私たちは,認識を改めなければならないのでしょう。


原発は,絶対の安全などないように思いました。
目に見えない放射線は恐ろしいものです。
被爆は軽微だと言っていますが,これから先が問題です。
じわりじわりと健康をむしばむのが被爆の現状ではないでしょうか。
次の世代にも影響があるかもしれません。
漏えいしたのが少量であっても,漏えいした事実は大変なことです。
上関原発は国の強行姿勢で建設が始まりましたが,このような
状勢の中では,工事は中止せざる得ないでしょう。
仮に続行なら,それはクレイジーそのものです。
自然エネルギーの活用を進めるべきでしょう。

大型店舗では天井全体に有り余るほどの照明を点灯し,
ネオンに大型テレビなど電力を使い放題使ってはいないでしょうか。
必要だから発電所をもう一つ造るという発想ではなく,いまある
供給量の中で工夫するという発想の転換はいかがでしょうか。
それはいろいろなところで共通しているように思えます。

これから日本政府がまた,自治体,国民が東北の災害をどう受け止め,
どのように復興していくのか見定めたいと思います。
再び津波が押し寄せた土地に都市を再構築するのでしょうか。
それとも,巨大な防波堤を築くのでしょうか。
または,町を高台に移転するのでしょうか。
その教訓は,これを書いている私自身にも突きつけられた設問だと
認識しています。








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