2011年04月21日
工事が止まってほしい
東江の小さな海は次第に次第に小さくなっていきます。
写真はクリックすると多少大きくなります。


生きものたちのことを思うと心が痛いです。

連日何台も何台もダンプカーが砂を積んできます。

でも,まだまだ生きものたちは生きている。
半分埋まっても,1/4になっても途中で工事を止めてほしいのが
本心です。

白濁した海に入り埋まり行く生きものの姿を撮影することは,
心身共に疲れます。でも,この機会を逃すと埋め立てというものの
実態を伝えることができなくなります。
水深3~4メートルの海底はまるで夜のように真っ暗です。
潜水は,水面から一気に海底へ降下します。白濁は海面から3メートルまで
続きますが水中は濁った深緑色の不気味な世界です。
海底まで1メートルのところで突然視界が開けます。

そのような中でも生きものたちはなんとか生きているのです。
砂で埋められていくきわにある生きものたちも最後の最後まで
生きようとしています。魚たちも自分たちの住処から離れようとは
しません。

4月15日現在の現場の様子を図示してみました。
こんな感じになっています。

下の写真は砂で埋められていく縁の海底の生きものたちの状況です。
ソフトコーラルの子どもです。左が実際の水中の様子で,
右側が画像を補整して見やすくしたものです。
実際は海底に光がほとんど届かない状態です。


以降画像は補整した状態で表示します。
投入されている砂には貝殻などが混じっていて,波の影響で大きめの貝殻
などが砂の斜面に堆積しているのがわかると思います。
崩れ落ちる貝殻などに生きものが埋まっていくのです。
サンゴが埋まっていきます。


ナマコにも砂が迫ります。

砂の縁から少し離れたところに紫色のサンゴの兄弟がいます。
大きさはどちらも25㎝ぐらいで細い枝がとても美しいサンゴです。
左が工事前の時の写真で右が現在の様子です。


撮影は1時間が限界です。腐敗した海水と白濁により船酔いのような
状態になってしまいます。
しかし,それでもこのブログを見る人に伝えずにはいられません。
生きものたちのためにも。
このように悲観的な内容で書いていますが,今ここで工事を止めれば
助かる多くの命があるのです。
わずかでも希望を持っていたいと思います。
白濁は砂を投入している場所が近いほど濃く,大型の塊状ハマサンゴが
あるところは伸ばした自分の手が見えないほど視界がありません。
下の写真は砂を投入する前に写した元気なハマサンゴの写真です。



このハマサンゴの一番上にはいろいろな海藻が生えていて,いつも小さな
魚たちが泳いでいたのです。

現在はほとんど何も見えません。

塊状ハマサンゴは高さ約3メートル,基底部の周囲約12メートルと
巨大です。推定年齢は300年,最初は1ミリぐらいのプラヌラ幼生から
始まった命の営みなのです。
ハマサンゴの表面は,つるっとして生きているのかどうかわからない
ように見えますが,拡大して見てみると小さな無数のポリプの存在が
わかります。

現在は工事による微細な砂が絶えずポリプの上に降り注ぐために,
写真からではポリプがどうなっているかよくわかりません。
大丈夫でしょうか。

ハマサンゴは1年に1㎝の成長速度と言われています。
相次ぐ埋め立てや護岸工事,世界的な白化現象にも耐えて今日まで
成長を続けてきた生きものです。海底から積み重なるような形で成長の
記録が残っています。ハマサンゴの南側は死んだ部分が多く,北側は
海底付近から一番上まで生きています。
サンゴの研究者の話では,南側に位置する世冨慶川の河口の位置の変化や
潮の流れ,水温など様々な環境の変化により現在のハマサンゴの形と状態が
出来ているそうです。300年ぐらい名護湾の変化がこのハマサンゴの骨格に
刻みつけられているのです。私は畏敬の念を感じます。
この生きものがこれからも生き続けられるように配慮することが,
大切ではないでしょうか。
また,死んだ部分は,それで終わりではなく,その部分にはウニや貝類が
住み着いています。自然界には何一つ無駄なものなどありません。
必ずなんらかの役目があるのです。
いつも4匹のグルクンの子どもたちが,このハマサンゴおじいの周りを
泳いでいました。来るたびに今日も元気だなあと思って見ていましたが,
あのグルクンは今どうしているのでしょうか。
この大きなハマサンゴとその周辺にはたくさんの生きものたちとの
つながりがありました。それを営みと表現することができます。
下の写真は工事開始前までに埋め立て予定区域の海底から拾い集めた
貝殻です。その種類からも,この海がどんなに豊かであったかが
想像できると思います。

また,下の写真は海底から一握りすくってきていた海底の砂です。
この砂を虫眼鏡で観察すると,サンゴのかけら,さまざまなウニの棘,
巻き貝の殻,星砂の遺骸などたくさんの生きものたちの生命の痕跡を
見つけることができます。

みなさんも浜辺に行かれたときに砂を手のひらに載せて観察してみて
ください。その海に住んでいる生きものの種類がわかります。
私たちは人間社会の中で生活をしています。
だから何の不思議もなく私たち中心の考え方で生きています。
かつて私もそうでした。
でも,生きものの側に立って考えると,現在全国各地,世界各地で行っている
自然に対する開発が人間の都合でしかないことに気が付きます。
それがたとえ人間の安全を守るための防災のためであっても。
人間が世界中に増えすぎてしまいましたが,これからも今までどおりの
スタンスで人間社会を続けていくのではなく,生きものとの共存を
目指さなくてはならないように私は思います。
出来るだけ自然のままに残すことや工事をする場合でも出来る限り自然界
への負荷を減らす対策をとることが必要だと思うのです。
私たちとさまざまな生きものは,同じ祖先といわれています。
そして,この身体はまぎれもなく地球の資源で構成されています。
みんな同じです。つまり人間も自然の一部だということです。
その自然を破壊することは自分自身を破壊することではないでしょうか。
一人一人がそのことをよく考えなくてはならないでしょう。
みなさんはどう思われるでしょうか。
東江の海に夕陽が没します。サバニが金波銀波の波間を進みます。


夕凪の海をみながら工事前の素敵な東江の小さな海を思い出して,
ため息を一つつきました。

よかったら市民の会のブログも見てみてください。
http://jisedai.ti-da.net/
写真はクリックすると多少大きくなります。


生きものたちのことを思うと心が痛いです。

連日何台も何台もダンプカーが砂を積んできます。

でも,まだまだ生きものたちは生きている。
半分埋まっても,1/4になっても途中で工事を止めてほしいのが
本心です。

白濁した海に入り埋まり行く生きものの姿を撮影することは,
心身共に疲れます。でも,この機会を逃すと埋め立てというものの
実態を伝えることができなくなります。
水深3~4メートルの海底はまるで夜のように真っ暗です。
潜水は,水面から一気に海底へ降下します。白濁は海面から3メートルまで
続きますが水中は濁った深緑色の不気味な世界です。
海底まで1メートルのところで突然視界が開けます。

そのような中でも生きものたちはなんとか生きているのです。
砂で埋められていくきわにある生きものたちも最後の最後まで
生きようとしています。魚たちも自分たちの住処から離れようとは
しません。

4月15日現在の現場の様子を図示してみました。
こんな感じになっています。

下の写真は砂で埋められていく縁の海底の生きものたちの状況です。
ソフトコーラルの子どもです。左が実際の水中の様子で,
右側が画像を補整して見やすくしたものです。
実際は海底に光がほとんど届かない状態です。


以降画像は補整した状態で表示します。
投入されている砂には貝殻などが混じっていて,波の影響で大きめの貝殻
などが砂の斜面に堆積しているのがわかると思います。
崩れ落ちる貝殻などに生きものが埋まっていくのです。
サンゴが埋まっていきます。


ナマコにも砂が迫ります。

砂の縁から少し離れたところに紫色のサンゴの兄弟がいます。
大きさはどちらも25㎝ぐらいで細い枝がとても美しいサンゴです。
左が工事前の時の写真で右が現在の様子です。


撮影は1時間が限界です。腐敗した海水と白濁により船酔いのような
状態になってしまいます。
しかし,それでもこのブログを見る人に伝えずにはいられません。
生きものたちのためにも。
このように悲観的な内容で書いていますが,今ここで工事を止めれば
助かる多くの命があるのです。
わずかでも希望を持っていたいと思います。
白濁は砂を投入している場所が近いほど濃く,大型の塊状ハマサンゴが
あるところは伸ばした自分の手が見えないほど視界がありません。
下の写真は砂を投入する前に写した元気なハマサンゴの写真です。



このハマサンゴの一番上にはいろいろな海藻が生えていて,いつも小さな
魚たちが泳いでいたのです。

現在はほとんど何も見えません。

塊状ハマサンゴは高さ約3メートル,基底部の周囲約12メートルと
巨大です。推定年齢は300年,最初は1ミリぐらいのプラヌラ幼生から
始まった命の営みなのです。
ハマサンゴの表面は,つるっとして生きているのかどうかわからない
ように見えますが,拡大して見てみると小さな無数のポリプの存在が
わかります。

現在は工事による微細な砂が絶えずポリプの上に降り注ぐために,
写真からではポリプがどうなっているかよくわかりません。
大丈夫でしょうか。

ハマサンゴは1年に1㎝の成長速度と言われています。
相次ぐ埋め立てや護岸工事,世界的な白化現象にも耐えて今日まで
成長を続けてきた生きものです。海底から積み重なるような形で成長の
記録が残っています。ハマサンゴの南側は死んだ部分が多く,北側は
海底付近から一番上まで生きています。
サンゴの研究者の話では,南側に位置する世冨慶川の河口の位置の変化や
潮の流れ,水温など様々な環境の変化により現在のハマサンゴの形と状態が
出来ているそうです。300年ぐらい名護湾の変化がこのハマサンゴの骨格に
刻みつけられているのです。私は畏敬の念を感じます。
この生きものがこれからも生き続けられるように配慮することが,
大切ではないでしょうか。
また,死んだ部分は,それで終わりではなく,その部分にはウニや貝類が
住み着いています。自然界には何一つ無駄なものなどありません。
必ずなんらかの役目があるのです。
いつも4匹のグルクンの子どもたちが,このハマサンゴおじいの周りを
泳いでいました。来るたびに今日も元気だなあと思って見ていましたが,
あのグルクンは今どうしているのでしょうか。
この大きなハマサンゴとその周辺にはたくさんの生きものたちとの
つながりがありました。それを営みと表現することができます。
下の写真は工事開始前までに埋め立て予定区域の海底から拾い集めた
貝殻です。その種類からも,この海がどんなに豊かであったかが
想像できると思います。

また,下の写真は海底から一握りすくってきていた海底の砂です。
この砂を虫眼鏡で観察すると,サンゴのかけら,さまざまなウニの棘,
巻き貝の殻,星砂の遺骸などたくさんの生きものたちの生命の痕跡を
見つけることができます。

みなさんも浜辺に行かれたときに砂を手のひらに載せて観察してみて
ください。その海に住んでいる生きものの種類がわかります。
私たちは人間社会の中で生活をしています。
だから何の不思議もなく私たち中心の考え方で生きています。
かつて私もそうでした。
でも,生きものの側に立って考えると,現在全国各地,世界各地で行っている
自然に対する開発が人間の都合でしかないことに気が付きます。
それがたとえ人間の安全を守るための防災のためであっても。
人間が世界中に増えすぎてしまいましたが,これからも今までどおりの
スタンスで人間社会を続けていくのではなく,生きものとの共存を
目指さなくてはならないように私は思います。
出来るだけ自然のままに残すことや工事をする場合でも出来る限り自然界
への負荷を減らす対策をとることが必要だと思うのです。
私たちとさまざまな生きものは,同じ祖先といわれています。
そして,この身体はまぎれもなく地球の資源で構成されています。
みんな同じです。つまり人間も自然の一部だということです。
その自然を破壊することは自分自身を破壊することではないでしょうか。
一人一人がそのことをよく考えなくてはならないでしょう。
みなさんはどう思われるでしょうか。
東江の海に夕陽が没します。サバニが金波銀波の波間を進みます。


夕凪の海をみながら工事前の素敵な東江の小さな海を思い出して,
ため息を一つつきました。

よかったら市民の会のブログも見てみてください。
http://jisedai.ti-da.net/
Posted by 有光智彦 at 21:41
│名護市東江 人工海浜
この記事へのコメント
ハマサンゴおじいの北側は足元から頭まで全部生きているのですね。
勝手なイメージとして、下が代々のサンゴの骨格で上に新しい生きたサンゴが付いているように思っていました。
干潮時に大きな岩礁がいくつも突堤から透けて見えるのに、なぜ巨大なハマサンゴは見えないんだろう?と思っていましたが…
けっこう深いところにあることと、
海水がそんなに濁ってしまっているからなのかと、なんとなく納得しました。
今日は小魚が水面を跳ねていましたよ。
わざわざ岸に向かっていきました。
勝手なイメージとして、下が代々のサンゴの骨格で上に新しい生きたサンゴが付いているように思っていました。
干潮時に大きな岩礁がいくつも突堤から透けて見えるのに、なぜ巨大なハマサンゴは見えないんだろう?と思っていましたが…
けっこう深いところにあることと、
海水がそんなに濁ってしまっているからなのかと、なんとなく納得しました。
今日は小魚が水面を跳ねていましたよ。
わざわざ岸に向かっていきました。
Posted by 亜衣 at 2011年04月21日 22:05
亜衣 様
こんばんは。
ハマサンゴがある水深は満潮時で5メートルぐらいあります。
大潮の干潮時でも頭の部分はなかなか干出しないかも
しれません。工事で濁っていても確かにそこに鎮座しています。
先日も白濁の中,手探り状態でハマサンゴを見つけ出しましたが,
ハマサンゴおじいをはじめ,この小さな海の生きものたちへ,
人間の一人として本当に申し訳ない思いでいっぱいになります。
それと同時に現在の人間社会に対し,抗うファイトがフツフツと
煮えたぎってきます。Still Burning。
こんばんは。
ハマサンゴがある水深は満潮時で5メートルぐらいあります。
大潮の干潮時でも頭の部分はなかなか干出しないかも
しれません。工事で濁っていても確かにそこに鎮座しています。
先日も白濁の中,手探り状態でハマサンゴを見つけ出しましたが,
ハマサンゴおじいをはじめ,この小さな海の生きものたちへ,
人間の一人として本当に申し訳ない思いでいっぱいになります。
それと同時に現在の人間社会に対し,抗うファイトがフツフツと
煮えたぎってきます。Still Burning。
Posted by 有光智彦
at 2011年04月21日 22:22

申し訳ありません。
誤って送信してしまいました。
改めまして。
ハマサンゴおじい☆
1ミリから始まった命,1年に1㎝の成長を続け推定300年・・・素晴らしい!
の一言です。でも今、そのハマサンゴやいろいろな生きものたちを生き埋めにしている人間は・・・本当に恐ろしい生きものですね。
砂が降りかかっているハマサンゴの写真は強烈です。それでも,それで終わりでなく,その部分にも生きものたちが住み着いていることに驚きました。
自然界に何一つ無駄なものがないこと,人間も自然の一部ということ,大切なことを教えていただきました。ありがとうございます。
生きものとの共存,優しい世界になってほしいです。
誤って送信してしまいました。
改めまして。
ハマサンゴおじい☆
1ミリから始まった命,1年に1㎝の成長を続け推定300年・・・素晴らしい!
の一言です。でも今、そのハマサンゴやいろいろな生きものたちを生き埋めにしている人間は・・・本当に恐ろしい生きものですね。
砂が降りかかっているハマサンゴの写真は強烈です。それでも,それで終わりでなく,その部分にも生きものたちが住み着いていることに驚きました。
自然界に何一つ無駄なものがないこと,人間も自然の一部ということ,大切なことを教えていただきました。ありがとうございます。
生きものとの共存,優しい世界になってほしいです。
Posted by 広美 at 2011年04月23日 12:40
広美 様
こんばんは。
私の手元に一冊の本があります。
その本の名は「父は空 母は大地・インディアンからの手紙」です。
シアトル首長というネイティブアメリカン(アメリカの先住民)が
アメリカ政府に宛てた一通の手紙の内容がが書かれています。
その内容は,私たちにとって何が大切なのかを教えてくれます。
現代文明が誤った方向へ進んでいることをわからせてくれます。
「パパラギ」という本も南の島の酋長の話ですが,
これら先住民の思想には,自然と暮らす人の智慧があります。
私たち日本人の祖先も持っていたものです。
それを私たちは忘れてしまっているのです。
自然界と対立するのを止め,自然界に畏敬と感謝の念を持って
生きるならきっと解決の糸口が見つかることでしょう。
そのように私には思えるのです。
こんばんは。
私の手元に一冊の本があります。
その本の名は「父は空 母は大地・インディアンからの手紙」です。
シアトル首長というネイティブアメリカン(アメリカの先住民)が
アメリカ政府に宛てた一通の手紙の内容がが書かれています。
その内容は,私たちにとって何が大切なのかを教えてくれます。
現代文明が誤った方向へ進んでいることをわからせてくれます。
「パパラギ」という本も南の島の酋長の話ですが,
これら先住民の思想には,自然と暮らす人の智慧があります。
私たち日本人の祖先も持っていたものです。
それを私たちは忘れてしまっているのです。
自然界と対立するのを止め,自然界に畏敬と感謝の念を持って
生きるならきっと解決の糸口が見つかることでしょう。
そのように私には思えるのです。
Posted by 有光智彦
at 2011年04月24日 01:43

ブログをいくつか見ていたらここに辿りつきました。
気付かないところでこのように開発が進んでいることに非常にショックを受けています。
以前、ブログをやっていて沖縄の話題もアップしてましたが
逆に発信しないほうがいいと思うようになってきました。
気付かないところでこのように開発が進んでいることに非常にショックを受けています。
以前、ブログをやっていて沖縄の話題もアップしてましたが
逆に発信しないほうがいいと思うようになってきました。
Posted by 沖縄に住んでました at 2011年04月30日 05:58
沖縄に住んでいました 様
こんばんは。
私が沖縄と最初に関わったのは石垣の竹富島でした。
6年ほど前のことになります。
当時,沖縄の空気の香り,人の素朴さ,南の海のイメージを
ひとまとめにして,本当に豊かな自然が残る島だと感じていました。
その後頻繁に渡航するようになり,手頃に来れる沖縄本島が主体
となりました。あるとき糸満市大度の民宿ヤポネシアに泊まった時に
沖縄戦から現在に至る基地問題のことを知ります。
そのことは確かに沖縄の抱える大きな問題ですが,現代日本の
ダークサイトを鮮明に象徴していました。
私にとってさまざまな問題が見えてくるきっかけとなった
出逢いです。
周囲の問題に関心を持つことの大切さを学びました。
視点を負の部分にあわせ,現場で自分の目で見てみると
現実の姿が見えてきます。
これでいいのだろうかという疑問と怒りが込み上げてきます。
沖縄は自然破壊,基地問題,人権問題が他県に比較し
より鮮明に表出しています。わかりやすいとも言えるでしょう。
しかしながら,沖縄だけでなく,今の日本のすべてにおいて
無関心という風潮が濃厚です。
それには,問題に気が付いた者が,みんなに知らせることが
有効かもしれません。場合によっては,建前社会に抗うことにも
なります。ですが,自分が見た私自身の事実は,主観的であっても
社会に一石を投じることになります。
そうすることによって少しでも社会が良い方向に修正できれば
いいなと思っています。
一方で,私のお家の近所の方々は,当初私が接した素朴な
人々のイメージと変わるものではありませんし,豊かな自然も
残っています。良い面と悪い面のありのままの姿を両方とも
発信していくのが私の真骨頂です。
これからもどうか沖縄の良い面を発信し続けてください。
そして悪い面も躊躇することなく発信してみてください。
こんばんは。
私が沖縄と最初に関わったのは石垣の竹富島でした。
6年ほど前のことになります。
当時,沖縄の空気の香り,人の素朴さ,南の海のイメージを
ひとまとめにして,本当に豊かな自然が残る島だと感じていました。
その後頻繁に渡航するようになり,手頃に来れる沖縄本島が主体
となりました。あるとき糸満市大度の民宿ヤポネシアに泊まった時に
沖縄戦から現在に至る基地問題のことを知ります。
そのことは確かに沖縄の抱える大きな問題ですが,現代日本の
ダークサイトを鮮明に象徴していました。
私にとってさまざまな問題が見えてくるきっかけとなった
出逢いです。
周囲の問題に関心を持つことの大切さを学びました。
視点を負の部分にあわせ,現場で自分の目で見てみると
現実の姿が見えてきます。
これでいいのだろうかという疑問と怒りが込み上げてきます。
沖縄は自然破壊,基地問題,人権問題が他県に比較し
より鮮明に表出しています。わかりやすいとも言えるでしょう。
しかしながら,沖縄だけでなく,今の日本のすべてにおいて
無関心という風潮が濃厚です。
それには,問題に気が付いた者が,みんなに知らせることが
有効かもしれません。場合によっては,建前社会に抗うことにも
なります。ですが,自分が見た私自身の事実は,主観的であっても
社会に一石を投じることになります。
そうすることによって少しでも社会が良い方向に修正できれば
いいなと思っています。
一方で,私のお家の近所の方々は,当初私が接した素朴な
人々のイメージと変わるものではありませんし,豊かな自然も
残っています。良い面と悪い面のありのままの姿を両方とも
発信していくのが私の真骨頂です。
これからもどうか沖縄の良い面を発信し続けてください。
そして悪い面も躊躇することなく発信してみてください。
Posted by 有光智彦 at 2011年05月02日 01:40
様々なレベルで祝祭があると言われるのと同じように、私たちは様々なレベルで破壊してるのかもしれませんね。そんな中でも「それはダメでしょ!」っていうの、自分なりに持っていたいです。最後の写真、ほんとにきれいですね。わたしもためいきがでました。 地球は自分自身、そして恋人。「何てことすんだ、まったく!」
Posted by おどる at 2011年05月06日 23:15
おどる 様
私たち人間は,自分自身の住んでいるたった一つの地球というお家を
自ら破壊し続けています。破壊すればするほど,他の生きものは
減少し,水も空気も土も汚れて,そのつけはやがて自分たちに戻ってくる
ということをそろそろ実感として持つべきでしょう。
そういう私もかつては無関心の一人だったのです。
疑問を常に持ち,実際に現場を見続けることでようやく
自分自身で何がよくて何が悪いかがある程度判別できる
ようになったと思います。
東江の小さな海はことごとく破壊されてしまいました。
300年ぐらい生き続けてきた塊状ハマサンゴも
これ以上生きてはいけないでしょう。
人間の活動など知らない生きものたちの営みがついこの間まで
淡々と営まれていました。
とても清らかな海水の中に生きものたちの命が満ちあふれていた
のです。
「地球は自分自身」,私もとっても同感です。
コメントありがとうございました。
おやすみなさい。
私たち人間は,自分自身の住んでいるたった一つの地球というお家を
自ら破壊し続けています。破壊すればするほど,他の生きものは
減少し,水も空気も土も汚れて,そのつけはやがて自分たちに戻ってくる
ということをそろそろ実感として持つべきでしょう。
そういう私もかつては無関心の一人だったのです。
疑問を常に持ち,実際に現場を見続けることでようやく
自分自身で何がよくて何が悪いかがある程度判別できる
ようになったと思います。
東江の小さな海はことごとく破壊されてしまいました。
300年ぐらい生き続けてきた塊状ハマサンゴも
これ以上生きてはいけないでしょう。
人間の活動など知らない生きものたちの営みがついこの間まで
淡々と営まれていました。
とても清らかな海水の中に生きものたちの命が満ちあふれていた
のです。
「地球は自分自身」,私もとっても同感です。
コメントありがとうございました。
おやすみなさい。
Posted by 有光智彦
at 2011年05月07日 03:00

有光智彦 さん
お久しぶりです。今日の琉球新報に掲載されている活躍を読みました。
奥様と共に立ち向かう姿に感服して感謝しております。
口先だけのものですが、お許し下さい。地球環境に心を痛めるものになりたく思っております。本当に有難うございます。
お久しぶりです。今日の琉球新報に掲載されている活躍を読みました。
奥様と共に立ち向かう姿に感服して感謝しております。
口先だけのものですが、お許し下さい。地球環境に心を痛めるものになりたく思っております。本当に有難うございます。
Posted by 仲本勝男
at 2011年07月23日 21:58

仲本勝男 様
こんにちは。
ほんとうにお久しぶりです。
ときどきブログを見させて頂いております。
私は今年1月から5月まで,名護市東江の
人工海浜を造成する現場にかかり切っていたので
自然や生きものの命の輝きといった写真を撮る本来のライフワーク
から外れ,人間が及ぼす負荷のダークサイドの指摘
ばかりに取り組んできました。
それが,最近の常態となり,ついついダークな考えに
落ち込むことがしばしばでした。これではいけないと
反省するばかりです。
おそらく自然や生きものの命の大切さを伝えるには
良い面と悪い面の両方が必要ですが,良い面からの
アプローチに重点をおく方が,より効果的であり,
自分の精神状態を高揚の方向へ保つことができる
と感じています。
日々の生活の中で,朝日を見,雲を見,風のにおいを
かぎとり,夜空の星々を見上げたときに,地球という惑星の
上に生きているまぎれもない生命体の実感を持ったとき,
人として謙虚になれるのかもしれません。
最近わたしは気が付きました。
食べ物や食べること,物や人からのまごころについて,
何が大事かについて,妻の生き方から学びました。
今まで気が付かなかったことです。いつも,妻と対立
していたことですが,ある日飲み込めたのです。
よりクオリティの高い生き方というものがあることを
47歳にしてようやく理解しました。新しい生き方を
発見したと思っています。今までの自分を脱却し
新しい生き方について考え,自らを差し向けていく
ことはことのほか充実しています。
先日のタイムスの投稿の中に将来の仕事について
勇気を与えるカメラマンになりたいという中学1年生の記事が
載っていました。写真をつうじて人々に希望や勇気を
与えたいそうです。
写真は,撮影者のその時の気持ちが
はっきりと乗り移っているので,写真を見た人に
そのまま伝わるような気がしています。
興味がつきない対象を写真に収め続けることは
人々に限りない影響力を与え続けているのかも
しれません。
暑い日が続きますのでくれぐれもお身体ご自愛
ください。コメントありがとうございました。
こんにちは。
ほんとうにお久しぶりです。
ときどきブログを見させて頂いております。
私は今年1月から5月まで,名護市東江の
人工海浜を造成する現場にかかり切っていたので
自然や生きものの命の輝きといった写真を撮る本来のライフワーク
から外れ,人間が及ぼす負荷のダークサイドの指摘
ばかりに取り組んできました。
それが,最近の常態となり,ついついダークな考えに
落ち込むことがしばしばでした。これではいけないと
反省するばかりです。
おそらく自然や生きものの命の大切さを伝えるには
良い面と悪い面の両方が必要ですが,良い面からの
アプローチに重点をおく方が,より効果的であり,
自分の精神状態を高揚の方向へ保つことができる
と感じています。
日々の生活の中で,朝日を見,雲を見,風のにおいを
かぎとり,夜空の星々を見上げたときに,地球という惑星の
上に生きているまぎれもない生命体の実感を持ったとき,
人として謙虚になれるのかもしれません。
最近わたしは気が付きました。
食べ物や食べること,物や人からのまごころについて,
何が大事かについて,妻の生き方から学びました。
今まで気が付かなかったことです。いつも,妻と対立
していたことですが,ある日飲み込めたのです。
よりクオリティの高い生き方というものがあることを
47歳にしてようやく理解しました。新しい生き方を
発見したと思っています。今までの自分を脱却し
新しい生き方について考え,自らを差し向けていく
ことはことのほか充実しています。
先日のタイムスの投稿の中に将来の仕事について
勇気を与えるカメラマンになりたいという中学1年生の記事が
載っていました。写真をつうじて人々に希望や勇気を
与えたいそうです。
写真は,撮影者のその時の気持ちが
はっきりと乗り移っているので,写真を見た人に
そのまま伝わるような気がしています。
興味がつきない対象を写真に収め続けることは
人々に限りない影響力を与え続けているのかも
しれません。
暑い日が続きますのでくれぐれもお身体ご自愛
ください。コメントありがとうございました。
Posted by 有光智彦 at 2011年07月25日 11:03