2009年03月22日
釣り糸
しばらく,またブログの更新を怠りました。
日にちの経過が早く感じます。
退職してちょうど1年が経ちました。
周囲の人々が仕事に出掛けた昼間の自宅に居ると社会の一員から
免脱しているように思う時があります。
自分で予定や目標を定め,その達成のために行動することは,やりがいが
あり,充実しています。だけど,一方で自分が動かなければ誰も何も
してはくれないということです。自分に甘えは許されないのですが,
まだまだ精神力の弱い自分に対し,反省することの多い日々です。
沖縄は,曇りや雨の日が続いています。ときどき晴れ間も見え隠れ
しています。現在晴れていて,外気は日陰で27℃湿度は80%で
突風が吹いています。
湿度は半端でなく,80%を超えると畳や寝具が湿気てしまい寝心地が
とても悪くなります。また,車で走行中,窓を開けて走るとフロントガラスの
内側が曇る時があります。この分だと梅雨が心配です。
友人は,除湿器がおすすめだと言っています。その必要がありそうです。
台所に果物を放置すると,数日で痛んでしまいます。
カビも直ぐ生えます。明らかに内地と違う環境だと理解しました。
この10日間は,潮の状態がよくないことと曇りや雨天が多く海へ入っての
撮影は取りやめる日が多くありました。
それでも,本島西海岸の砂辺で続けているサンゴに絡んだ釣り糸の回収は
3回出掛けました。内2回が友人と2名で行いました。
既にこの海域(狭い海域)の釣り糸や釣り具はかなり回収を完了しました。
サンゴから糸が取れて「今夜はポリプが気持ちよく伸びているはず。」という
友人の言葉は実感があります。
それでも,数日おいて再び同じ海域に入ると新しい釣り糸が数本海中を
横切っています。これは,イカ釣り用の餌木(エギ:エビのような形をした実際には
食べられないが魚等の摂食行動を誘発するもので,最後尾に鋭い針が2重に
取り付けてあり,これをあたかも生きているように海中で操作するもの)が
海底のサンゴや岩,あるいはソフトコーラルに引っかかり途中で切れた糸です。
糸の先端には必ず餌木(エギ)が見つかります。

この海中を漂う一本の長い糸(数十メートル)が波や潮の動きで前後左右に
流されるうちに何処かのサンゴに絡みつき,あるいは最初に引っかかった
所に次第に集まり,絡んで団子状になるのだと思います。
釣り糸が団子になると,その塊に海藻が付着し,潮の流れで揺れ動きます。
このとき,際限なく生きたサンゴのポリプを引っかき回し,いずれサンゴは
死んでしまうのです。




また,海藻が付着した糸の団子には,小さなカニなど甲殻類の住処と
なります。回収した釣り糸にも沢山の生き物が住んでいました。
これを分類し,生きているものは,海に帰しましたが大変な手間がかかり
ました。
釣り糸は,生物が住み付く前の早い段階で撤去するしかありません。
サンゴのダメージが少ない無いうちに回収するのが鉄則です。
それには,一週間に一度は回収しないと直ぐに元通りになるでしょう。
釣りの人たち全てが悪いわけではないと思います。
海底の構造に応じて釣りの技術を用いれば,海底に引っかかるリスクは
かなり回避できるかもしれません。
おそらくこの海域の特徴を知らないのかもしれません。
海の中を知らないのなら,まず,知ってもらうのが一番でしょう。
海の中でたくさんの生物が釣り具の影響を受けていることを
知ってもらいたいと思います。
凪(なぎ)の日に水面から海中を見通すことはできますが,実際に海中に入り
地形やサンゴの状態を見なければわからないと思います。
下の写真が釣り場の前の海底です。

先日,砂辺の浜でお話をした釣り人がすまなさそうに話しをしてくれました。
この方は,かなり熟練した釣りの技術を持っていました。
そして,自らも責任を感じ,環境破壊の見地から,素潜りで釣り糸や
餌木(エギ)を回収しているそうです。
このような方ばかりであれば,社会の問題も激減するでしょう。
下の写真は,今回撮影したサンゴの画像です。
まだまだ,この砂辺全体では,あちらこちらにこのような釣り糸の塊が
サンゴを苦しめています。




次の写真は,ソフトコーラル(骨格を持たない柔らかいサンゴ)に絡みついた
釣り糸に「ウミシダ:海藻の様に見えますがりっぱな動物。」が引っかかっており
私が釣り糸を撤去すると,絡んでいた足3本が切れてしまいました。
「ウミシダ」は足3本を失ってしまいました。慌てて逃げて行きました。
おそらく数日,もしくはそれ以上,釣り糸に引っかかったまま拘束されていた
のでしょう。

下の写真は,釣り場からほど近いところで撮影しました。
黒い魚(目は濃いブルー)が「ホンソメワケベラ」の医院に身体の寄生虫を
とってもらいに来たところです。とても気持ちよさそうにしていましたが
口先に妙なものを見付けました。
「釣り針」です。写真ではわかりにくいかもしれませんがUの字の金色の
釣り糸が口を貫通しています。糸は口先のところで切れていました。
痛みはあるのでしょうか。食べ物を取るときにじゃまになるかもしれません。
人間なら自分で外せますが魚はできません。一生このままです。

今日まで回収した釣り糸や鉛,餌木(エギ)の写真です。
タライの写真は分類前。糸や釣り具の種類を分類したのがその次の写真です。
回収した鉛は169個,餌木(エギ)は59個でした。友人宅に保管してある
ものを含めるとまだまだあります。



ここで,釣り糸による自然界への弊害の話をいったん止めて,現在の
食糧事情と命を頂くことについての私見を述べてみたいと思います。
「釣り」はポピュラーな娯楽です。
釣りを趣味にしている人はたくさんいるでしょう。
かつて私も高校生までは,その一人でした。
釣りは,気軽に出来る遊びでもあり,息抜きともなるでしょう。
天気の良い日に潮風にあたり,海を見ているだけでもでストレスが
解消されます。愉快な映画も出来ています。
私が釣りをやらなくなったのは,魚や海の生きものたちのことを良く知ってから
のことです。今では彼らは,私にとっては家族みたいなものです。
だから,釣られる魚を見たり,海中で釣りの弊害に苦しんでいる
生きものたちを見ると,とても悲しくなります。
よく新聞に大物を釣ったという写真付きの記事が掲載されています。
この記事をみるたびに一つの思いが頭をかすめます。
それは,釣られた魚も最初は父と母がおり,卵から誕生し稚魚となり
大海の捕食者たちや自然の猛威から何とか生き延びてきて,やっと
大きくなったのです。そして,何十年も生きてきて海の中のことは
経験的に私たちより遙かに知識があるでしょう。ただ,その知識を
人間と共有できないだけです。ある意味,海の大先輩ということです。
果たして釣り上げた魚を見てそんなことを思う人はいないでしょうね。
きつい言い方ですが,釣った人は,なんとか生き延びてきたその魚の
「命」を奪ったのです。
奪うだけの正当な理由があるでしょうか。
その日が何十年と生きてきた,その魚の命日となるのです。
彼らは,人間の思いとは全く別の次元で生きています。
海の中では,食うか食われるかの大変厳しい世界です。でも,人間の
ように「珍味」だからとか「楽しい」からという理由で他の魚を補食したりは
しません。みんなその日の命を生きるためです。
最低限生きるために,自分の命を守り子孫を残すために,熾烈な生存
競争をしているのです。
だから力の強弱はうっても海の中はとても「フェアー」な世界だと思います。
人間もかつては,その日に生き延びるために大切に家畜を育て,そして殺し,
魚を捕りに行き,畑で野菜を作っていました。
そして,それらのものに感謝をしていました。
「いただきます。」とは,命を頂くことだといいます。
私たちも,他の命を奪って自分の命をつないでいます。
やむを得ないことだし,生態系の中の一員として当たり前のことです。
しかし,現在,この食べるための命のあり方が,違う方向へ向き始めて
いるのではないでしょうか。
先ほども言いましたが,自らの命をつなぎ止めるために命を頂くのは
正当ですが,「珍味」だからとか「おもしろいから」という理由で生きものの
命を奪っていいのでしょうか。私には,どうもこのあたりが納得できないのです。
釣りだけではありません。猟銃を使ったハンティング,水中銃を使った魚突き,
他にもたくさんあるでしょう。これらが,現在の豊かな食料事情のなかで
生きるために必ず必要な行為だとは思えません。
前述した,砂辺で出逢った釣り人に嫌悪を抱いててるわけではありません。
私はその行為が嫌いなだけで,人が嫌いな訳ではありません。
戦争が嫌いですが兵隊の一人一人の人が嫌いでないのと同じです。
この点は誤解されたくはありません。
釣り糸の回収の話から,とうとう「命」を頂く話にまでおよんでしまいました。
えらそうなことを言っているかもしれませんが,人間がかつてそうだったように
自然界に対しもっと謙虚になれば,あらゆる生き物が住みよい星となること
でしょう。




日にちの経過が早く感じます。
退職してちょうど1年が経ちました。
周囲の人々が仕事に出掛けた昼間の自宅に居ると社会の一員から
免脱しているように思う時があります。
自分で予定や目標を定め,その達成のために行動することは,やりがいが
あり,充実しています。だけど,一方で自分が動かなければ誰も何も
してはくれないということです。自分に甘えは許されないのですが,
まだまだ精神力の弱い自分に対し,反省することの多い日々です。
沖縄は,曇りや雨の日が続いています。ときどき晴れ間も見え隠れ
しています。現在晴れていて,外気は日陰で27℃湿度は80%で
突風が吹いています。
湿度は半端でなく,80%を超えると畳や寝具が湿気てしまい寝心地が
とても悪くなります。また,車で走行中,窓を開けて走るとフロントガラスの
内側が曇る時があります。この分だと梅雨が心配です。
友人は,除湿器がおすすめだと言っています。その必要がありそうです。
台所に果物を放置すると,数日で痛んでしまいます。
カビも直ぐ生えます。明らかに内地と違う環境だと理解しました。
この10日間は,潮の状態がよくないことと曇りや雨天が多く海へ入っての
撮影は取りやめる日が多くありました。
それでも,本島西海岸の砂辺で続けているサンゴに絡んだ釣り糸の回収は
3回出掛けました。内2回が友人と2名で行いました。
既にこの海域(狭い海域)の釣り糸や釣り具はかなり回収を完了しました。
サンゴから糸が取れて「今夜はポリプが気持ちよく伸びているはず。」という
友人の言葉は実感があります。
それでも,数日おいて再び同じ海域に入ると新しい釣り糸が数本海中を
横切っています。これは,イカ釣り用の餌木(エギ:エビのような形をした実際には
食べられないが魚等の摂食行動を誘発するもので,最後尾に鋭い針が2重に
取り付けてあり,これをあたかも生きているように海中で操作するもの)が
海底のサンゴや岩,あるいはソフトコーラルに引っかかり途中で切れた糸です。
糸の先端には必ず餌木(エギ)が見つかります。
この海中を漂う一本の長い糸(数十メートル)が波や潮の動きで前後左右に
流されるうちに何処かのサンゴに絡みつき,あるいは最初に引っかかった
所に次第に集まり,絡んで団子状になるのだと思います。
釣り糸が団子になると,その塊に海藻が付着し,潮の流れで揺れ動きます。
このとき,際限なく生きたサンゴのポリプを引っかき回し,いずれサンゴは
死んでしまうのです。




また,海藻が付着した糸の団子には,小さなカニなど甲殻類の住処と
なります。回収した釣り糸にも沢山の生き物が住んでいました。
これを分類し,生きているものは,海に帰しましたが大変な手間がかかり
ました。
釣り糸は,生物が住み付く前の早い段階で撤去するしかありません。
サンゴのダメージが少ない無いうちに回収するのが鉄則です。
それには,一週間に一度は回収しないと直ぐに元通りになるでしょう。
釣りの人たち全てが悪いわけではないと思います。
海底の構造に応じて釣りの技術を用いれば,海底に引っかかるリスクは
かなり回避できるかもしれません。
おそらくこの海域の特徴を知らないのかもしれません。
海の中を知らないのなら,まず,知ってもらうのが一番でしょう。
海の中でたくさんの生物が釣り具の影響を受けていることを
知ってもらいたいと思います。
凪(なぎ)の日に水面から海中を見通すことはできますが,実際に海中に入り
地形やサンゴの状態を見なければわからないと思います。
下の写真が釣り場の前の海底です。

先日,砂辺の浜でお話をした釣り人がすまなさそうに話しをしてくれました。
この方は,かなり熟練した釣りの技術を持っていました。
そして,自らも責任を感じ,環境破壊の見地から,素潜りで釣り糸や
餌木(エギ)を回収しているそうです。
このような方ばかりであれば,社会の問題も激減するでしょう。
下の写真は,今回撮影したサンゴの画像です。
まだまだ,この砂辺全体では,あちらこちらにこのような釣り糸の塊が
サンゴを苦しめています。




次の写真は,ソフトコーラル(骨格を持たない柔らかいサンゴ)に絡みついた
釣り糸に「ウミシダ:海藻の様に見えますがりっぱな動物。」が引っかかっており
私が釣り糸を撤去すると,絡んでいた足3本が切れてしまいました。
「ウミシダ」は足3本を失ってしまいました。慌てて逃げて行きました。
おそらく数日,もしくはそれ以上,釣り糸に引っかかったまま拘束されていた
のでしょう。

下の写真は,釣り場からほど近いところで撮影しました。
黒い魚(目は濃いブルー)が「ホンソメワケベラ」の医院に身体の寄生虫を
とってもらいに来たところです。とても気持ちよさそうにしていましたが
口先に妙なものを見付けました。
「釣り針」です。写真ではわかりにくいかもしれませんがUの字の金色の
釣り糸が口を貫通しています。糸は口先のところで切れていました。
痛みはあるのでしょうか。食べ物を取るときにじゃまになるかもしれません。
人間なら自分で外せますが魚はできません。一生このままです。

今日まで回収した釣り糸や鉛,餌木(エギ)の写真です。
タライの写真は分類前。糸や釣り具の種類を分類したのがその次の写真です。
回収した鉛は169個,餌木(エギ)は59個でした。友人宅に保管してある
ものを含めるとまだまだあります。

ここで,釣り糸による自然界への弊害の話をいったん止めて,現在の
食糧事情と命を頂くことについての私見を述べてみたいと思います。
「釣り」はポピュラーな娯楽です。
釣りを趣味にしている人はたくさんいるでしょう。
かつて私も高校生までは,その一人でした。
釣りは,気軽に出来る遊びでもあり,息抜きともなるでしょう。
天気の良い日に潮風にあたり,海を見ているだけでもでストレスが
解消されます。愉快な映画も出来ています。
私が釣りをやらなくなったのは,魚や海の生きものたちのことを良く知ってから
のことです。今では彼らは,私にとっては家族みたいなものです。
だから,釣られる魚を見たり,海中で釣りの弊害に苦しんでいる
生きものたちを見ると,とても悲しくなります。
よく新聞に大物を釣ったという写真付きの記事が掲載されています。
この記事をみるたびに一つの思いが頭をかすめます。
それは,釣られた魚も最初は父と母がおり,卵から誕生し稚魚となり
大海の捕食者たちや自然の猛威から何とか生き延びてきて,やっと
大きくなったのです。そして,何十年も生きてきて海の中のことは
経験的に私たちより遙かに知識があるでしょう。ただ,その知識を
人間と共有できないだけです。ある意味,海の大先輩ということです。
果たして釣り上げた魚を見てそんなことを思う人はいないでしょうね。
きつい言い方ですが,釣った人は,なんとか生き延びてきたその魚の
「命」を奪ったのです。
奪うだけの正当な理由があるでしょうか。
その日が何十年と生きてきた,その魚の命日となるのです。
彼らは,人間の思いとは全く別の次元で生きています。
海の中では,食うか食われるかの大変厳しい世界です。でも,人間の
ように「珍味」だからとか「楽しい」からという理由で他の魚を補食したりは
しません。みんなその日の命を生きるためです。
最低限生きるために,自分の命を守り子孫を残すために,熾烈な生存
競争をしているのです。
だから力の強弱はうっても海の中はとても「フェアー」な世界だと思います。
人間もかつては,その日に生き延びるために大切に家畜を育て,そして殺し,
魚を捕りに行き,畑で野菜を作っていました。
そして,それらのものに感謝をしていました。
「いただきます。」とは,命を頂くことだといいます。
私たちも,他の命を奪って自分の命をつないでいます。
やむを得ないことだし,生態系の中の一員として当たり前のことです。
しかし,現在,この食べるための命のあり方が,違う方向へ向き始めて
いるのではないでしょうか。
先ほども言いましたが,自らの命をつなぎ止めるために命を頂くのは
正当ですが,「珍味」だからとか「おもしろいから」という理由で生きものの
命を奪っていいのでしょうか。私には,どうもこのあたりが納得できないのです。
釣りだけではありません。猟銃を使ったハンティング,水中銃を使った魚突き,
他にもたくさんあるでしょう。これらが,現在の豊かな食料事情のなかで
生きるために必ず必要な行為だとは思えません。
前述した,砂辺で出逢った釣り人に嫌悪を抱いててるわけではありません。
私はその行為が嫌いなだけで,人が嫌いな訳ではありません。
戦争が嫌いですが兵隊の一人一人の人が嫌いでないのと同じです。
この点は誤解されたくはありません。
釣り糸の回収の話から,とうとう「命」を頂く話にまでおよんでしまいました。
えらそうなことを言っているかもしれませんが,人間がかつてそうだったように
自然界に対しもっと謙虚になれば,あらゆる生き物が住みよい星となること
でしょう。



Posted by 有光智彦 at 13:30
│釣り具の回収
この記事へのコメント
今回も釣り糸の回収におでかけだったのですね、
砂辺の魚や珊瑚もホッと知っている事でしょう
でも 黒い魚 の口に釣り針が刺さったままでいるのはかわいそうです、、
水中カメラマンになって1年なのでしょうか、
応援していまーす。
そして書かれているように、自然界に対しもっと謙虚になれるように生きたいです。
砂辺の魚や珊瑚もホッと知っている事でしょう
でも 黒い魚 の口に釣り針が刺さったままでいるのはかわいそうです、、
水中カメラマンになって1年なのでしょうか、
応援していまーす。
そして書かれているように、自然界に対しもっと謙虚になれるように生きたいです。
Posted by グリーン at 2009年03月23日 22:40
グリーン 様
こんばんは。
最近は,少し重たい話題を提供しましたので
今回は,愉快な話題にしました。
最近,知れば知るほど問題の多さが目に付きますが
楽しく解決出来るように心がけています。
それでも,考えてしまう時もあります。
解決が難しい時などです。
水中で撮影を始めて4年ぐらいでしょうか。
カメラは幼少の頃より好きでした。
前の職場では,休憩時間に先輩のあくび姿などを
撮っていましたよ。笑。
今夜の写真は,魚のあくび姿もありますよ。笑。
こんばんは。
最近は,少し重たい話題を提供しましたので
今回は,愉快な話題にしました。
最近,知れば知るほど問題の多さが目に付きますが
楽しく解決出来るように心がけています。
それでも,考えてしまう時もあります。
解決が難しい時などです。
水中で撮影を始めて4年ぐらいでしょうか。
カメラは幼少の頃より好きでした。
前の職場では,休憩時間に先輩のあくび姿などを
撮っていましたよ。笑。
今夜の写真は,魚のあくび姿もありますよ。笑。
Posted by 有光智彦 at 2009年03月25日 00:11
僕も真栄田で、残波で、砂辺で、瀬底で、
釣り糸が海底の起伏やサンゴに絡まってしまっているのを
何度も見て来ました。
生物に与える影響ももちろんですが、
シュノーケラーなどが太い糸に水中拘束されたら…と考えると
背筋が寒くなってしまいます。
特に最近PEと呼ばれるポリエチレン繊維の糸を使う人が増えてますが、
これは劣化しにくい上に、無理に引きちぎろうとすると
簡単に肉が切れるくらいの強度を持っています。
潜るときは必ずナイフを携行してくださいね。
ここまで書いておいて何ですが、
僕は今でもダイバー、シュノーケラーであると同時に
釣り人でもあります。
この記事に共感する部分は非常に大きいのですが、
僕が最初に海に関心を持ったのはルアー釣りからです。
ルアーを始めなかったら、おそらく今のように
海に関しての様々を学ぼうと思わなかっただろうし、
沖縄にも来なかったかもしれません。
食料事情の豊かな世の中でさらに魚を殺す事に意味があるのか…
というのはとても正論だと思います。
では、食料事情豊かな世の中で自然界に出向こうとしない
多くの現代の人は、自分が他の命を奪ってしか生きてゆけない
存在であるという事をはたして実感しているでしょうか?
釣りは、自然から何かを収奪して生きるという根本的な
人間の在り方の意味と方法論を、形骸的にでもとどめていると思います。
どこでどうやったら魚が得られるのかという事を思索するのは、
娯楽の域をはるかに超えて、人間が生きるために為す術を
自分自身の力で考えるという重要な機会を与えてくれるものであるはずです。
だから、釣りという行為の中で真剣に考えることは、
ある人にとっては人が人として生きるために必要不可欠なんだと思います。
世界各国にあまねく釣りという共通の文化が存在することがその傍証だと思います。
両方とも真剣につきつめてきた(と信じている)僕にとって、
釣りは潜りとは全く別の方法での海との関わり方です。
だから潜りの仲間に釣りの話をする時、
釣りの仲間に潜りの話をする時はつも困難を感じます。
ただ、これは釣り人として言えることですが、
釣りをやっている人は概して人としてマナーの良くない人も多いです。
潜りに行った先のフィールドで不愉快な思いをすることよりも、
釣りに行った先で不愉快な思いをする事の方がはるかに多いです。
卒論のサンプリングでシュノーケリング中に石を投げてくる人もいました。
ひとつだけ憶えていて欲しいのは、
娯楽というにはあまりに差し迫った事情で、
釣りに関する行為と思索に没頭する事を、精神の糧として
必要としてる人も世の中にはいるということです。
釣り糸が海底の起伏やサンゴに絡まってしまっているのを
何度も見て来ました。
生物に与える影響ももちろんですが、
シュノーケラーなどが太い糸に水中拘束されたら…と考えると
背筋が寒くなってしまいます。
特に最近PEと呼ばれるポリエチレン繊維の糸を使う人が増えてますが、
これは劣化しにくい上に、無理に引きちぎろうとすると
簡単に肉が切れるくらいの強度を持っています。
潜るときは必ずナイフを携行してくださいね。
ここまで書いておいて何ですが、
僕は今でもダイバー、シュノーケラーであると同時に
釣り人でもあります。
この記事に共感する部分は非常に大きいのですが、
僕が最初に海に関心を持ったのはルアー釣りからです。
ルアーを始めなかったら、おそらく今のように
海に関しての様々を学ぼうと思わなかっただろうし、
沖縄にも来なかったかもしれません。
食料事情の豊かな世の中でさらに魚を殺す事に意味があるのか…
というのはとても正論だと思います。
では、食料事情豊かな世の中で自然界に出向こうとしない
多くの現代の人は、自分が他の命を奪ってしか生きてゆけない
存在であるという事をはたして実感しているでしょうか?
釣りは、自然から何かを収奪して生きるという根本的な
人間の在り方の意味と方法論を、形骸的にでもとどめていると思います。
どこでどうやったら魚が得られるのかという事を思索するのは、
娯楽の域をはるかに超えて、人間が生きるために為す術を
自分自身の力で考えるという重要な機会を与えてくれるものであるはずです。
だから、釣りという行為の中で真剣に考えることは、
ある人にとっては人が人として生きるために必要不可欠なんだと思います。
世界各国にあまねく釣りという共通の文化が存在することがその傍証だと思います。
両方とも真剣につきつめてきた(と信じている)僕にとって、
釣りは潜りとは全く別の方法での海との関わり方です。
だから潜りの仲間に釣りの話をする時、
釣りの仲間に潜りの話をする時はつも困難を感じます。
ただ、これは釣り人として言えることですが、
釣りをやっている人は概して人としてマナーの良くない人も多いです。
潜りに行った先のフィールドで不愉快な思いをすることよりも、
釣りに行った先で不愉快な思いをする事の方がはるかに多いです。
卒論のサンプリングでシュノーケリング中に石を投げてくる人もいました。
ひとつだけ憶えていて欲しいのは、
娯楽というにはあまりに差し迫った事情で、
釣りに関する行為と思索に没頭する事を、精神の糧として
必要としてる人も世の中にはいるということです。
Posted by ゆー at 2009年03月30日 13:08
ゆー 様
こんばんは。
何度も,読み返しました。
そしてしばらく熟成さてみました。
とても誠実なお答えを頂いたと思っています。
真剣に海と向き合っている様を文面から痛いほど
感じ取れました。
いささか,正論を持ち出した自分がはずかしい。
もっと私は,多くの事情をかみしめる必要があると
思いました。
コメント,ほんとうにありがとうございました。
頂いた長い文に対しあまりにも短文ですが
どうかお許しください。
それから,どうぞこれからもよろしくお願いします。
返信が大変遅くなりました。
こんばんは。
何度も,読み返しました。
そしてしばらく熟成さてみました。
とても誠実なお答えを頂いたと思っています。
真剣に海と向き合っている様を文面から痛いほど
感じ取れました。
いささか,正論を持ち出した自分がはずかしい。
もっと私は,多くの事情をかみしめる必要があると
思いました。
コメント,ほんとうにありがとうございました。
頂いた長い文に対しあまりにも短文ですが
どうかお許しください。
それから,どうぞこれからもよろしくお願いします。
返信が大変遅くなりました。
Posted by 有光智彦 at 2009年04月05日 03:28
表向き世の中に何かを発信しようとする上では、
僕は他の生物よりもまず人間社会の利害関係、
肉体的・精神的福祉を主張するというようなスタンスを掲げています。
よろず環境保全を問題にして人や社会を相手にして働きかける場合、
実際問題として何かしら「合理的な」主張をしていかなくてはならないと思っているからです。
(学問的に、経済的に、あるいはそれ以外の部分で
人間生活のこういう部分に関わっているから…etc.)
例えば、「権利」という概念は人間の社会生活から生じた物ですから、
動物の「種が存続する権利」みたいな事を本気で主張し出すと、
およそ合理的でない訴えかけになってしまうと考えるからです。
でも、動物に、魚に、草木といったそれぞれ命あるものに、
人間の主観で捉えられる以外のそれぞれの世界があって、
彼らもその世界の中で人間に見えない何かを見て、感じて生きている
…という考え方は、僕もとても好きです。
「自然」の中にいると、あるいはつぶさに生き物を観察していると、
本気でそう感じることも度々あります。
ただ、誰かに向けて何かメッセージを発信しようとする時は、
こういう視点で語るのはちょっと慎重になります。
この間瀬底でシュノーケリングしていたら、
くだんの「PEライン」にやられました。
海底から上がろうと思ったらサンプリング道具に絡み付いてました。
幸いグローブをした手で引きちぎれる細さでしたが、
太いのだったら…と思うとぞっとします。
比重が軽くしなやかなので簡単に絡み付き、強度も抜群です
気をつけて下さい。
なによりも安全第一で潜って下さいね!
陰ながら応援しております。
また大度でお会いしましょう!
僕は他の生物よりもまず人間社会の利害関係、
肉体的・精神的福祉を主張するというようなスタンスを掲げています。
よろず環境保全を問題にして人や社会を相手にして働きかける場合、
実際問題として何かしら「合理的な」主張をしていかなくてはならないと思っているからです。
(学問的に、経済的に、あるいはそれ以外の部分で
人間生活のこういう部分に関わっているから…etc.)
例えば、「権利」という概念は人間の社会生活から生じた物ですから、
動物の「種が存続する権利」みたいな事を本気で主張し出すと、
およそ合理的でない訴えかけになってしまうと考えるからです。
でも、動物に、魚に、草木といったそれぞれ命あるものに、
人間の主観で捉えられる以外のそれぞれの世界があって、
彼らもその世界の中で人間に見えない何かを見て、感じて生きている
…という考え方は、僕もとても好きです。
「自然」の中にいると、あるいはつぶさに生き物を観察していると、
本気でそう感じることも度々あります。
ただ、誰かに向けて何かメッセージを発信しようとする時は、
こういう視点で語るのはちょっと慎重になります。
この間瀬底でシュノーケリングしていたら、
くだんの「PEライン」にやられました。
海底から上がろうと思ったらサンプリング道具に絡み付いてました。
幸いグローブをした手で引きちぎれる細さでしたが、
太いのだったら…と思うとぞっとします。
比重が軽くしなやかなので簡単に絡み付き、強度も抜群です
気をつけて下さい。
なによりも安全第一で潜って下さいね!
陰ながら応援しております。
また大度でお会いしましょう!
Posted by ゆー at 2009年04月08日 17:51
ゆー様
返事を頂けて嬉しいです。
PEという糸のことを釣具屋で調べてきました。
高価ですが耐久性のある糸ですね。
専用のハサミを購入しました。
この糸には要注意ですね。
水中では慎重に作業をしようと思います。
私の場合,正当な権利を主張できる立場にいる
人間よりも,言いたくても言えない弱い立場にある
人間以外の生き物に視点の中心があります。
もちろん,例外もあります。
先進国の優位性に対する後進国の貧困です。
沢山の子供たちが犠牲になっているからです。
人間の差別や不当な不利益も許し難いのです。
生き物への思いを人に伝える時は,とても苦労します。
なかなか理解してもらえません。
それを承知の上で説明しています。
例えば,「ここは国定公園だから生き物の採取はできませんよ」と
注意すれば,たいがいの人は,納得してくれます。
しかし,それでは,私が伝えたい生き物の命の大事さや思いやりを
理解してもらえません。「では,よその海岸で採取しますから」と
いう結果になります。
海岸でしどろもどろになりながらも,また,罵声をあびながらも
この一点にこだわりたいと思います。それで生き物の命が救えるのなら
安いものです。
私の寿命が尽きるころにも,大半の人々の意識は変わっていないかも
しれません。でも,少しずつでも自然との共存への理解者が増えれば
よいと思っています。
幸い,来年は,「生物多様性条約」の議長国が日本です。
世界的な動きが活発化してきています。
なんとか盛り上げていきたいと考えているところです。
返事を頂けて嬉しいです。
PEという糸のことを釣具屋で調べてきました。
高価ですが耐久性のある糸ですね。
専用のハサミを購入しました。
この糸には要注意ですね。
水中では慎重に作業をしようと思います。
私の場合,正当な権利を主張できる立場にいる
人間よりも,言いたくても言えない弱い立場にある
人間以外の生き物に視点の中心があります。
もちろん,例外もあります。
先進国の優位性に対する後進国の貧困です。
沢山の子供たちが犠牲になっているからです。
人間の差別や不当な不利益も許し難いのです。
生き物への思いを人に伝える時は,とても苦労します。
なかなか理解してもらえません。
それを承知の上で説明しています。
例えば,「ここは国定公園だから生き物の採取はできませんよ」と
注意すれば,たいがいの人は,納得してくれます。
しかし,それでは,私が伝えたい生き物の命の大事さや思いやりを
理解してもらえません。「では,よその海岸で採取しますから」と
いう結果になります。
海岸でしどろもどろになりながらも,また,罵声をあびながらも
この一点にこだわりたいと思います。それで生き物の命が救えるのなら
安いものです。
私の寿命が尽きるころにも,大半の人々の意識は変わっていないかも
しれません。でも,少しずつでも自然との共存への理解者が増えれば
よいと思っています。
幸い,来年は,「生物多様性条約」の議長国が日本です。
世界的な動きが活発化してきています。
なんとか盛り上げていきたいと考えているところです。
Posted by 有光智彦 at 2009年04月09日 22:38