釣り糸

有光智彦

2009年03月22日 13:30

しばらく,またブログの更新を怠りました。
日にちの経過が早く感じます。
退職してちょうど1年が経ちました。
周囲の人々が仕事に出掛けた昼間の自宅に居ると社会の一員から
免脱しているように思う時があります。
自分で予定や目標を定め,その達成のために行動することは,やりがいが
あり,充実しています。だけど,一方で自分が動かなければ誰も何も
してはくれないということです。自分に甘えは許されないのですが,
まだまだ精神力の弱い自分に対し,反省することの多い日々です。

沖縄は,曇りや雨の日が続いています。ときどき晴れ間も見え隠れ
しています。現在晴れていて,外気は日陰で27℃湿度は80%で
突風が吹いています。
湿度は半端でなく,80%を超えると畳や寝具が湿気てしまい寝心地が
とても悪くなります。また,車で走行中,窓を開けて走るとフロントガラスの
内側が曇る時があります。この分だと梅雨が心配です。
友人は,除湿器がおすすめだと言っています。その必要がありそうです。
台所に果物を放置すると,数日で痛んでしまいます。
カビも直ぐ生えます。明らかに内地と違う環境だと理解しました。

この10日間は,潮の状態がよくないことと曇りや雨天が多く海へ入っての
撮影は取りやめる日が多くありました。
それでも,本島西海岸の砂辺で続けているサンゴに絡んだ釣り糸の回収は
3回出掛けました。内2回が友人と2名で行いました。
既にこの海域(狭い海域)の釣り糸や釣り具はかなり回収を完了しました。
サンゴから糸が取れて「今夜はポリプが気持ちよく伸びているはず。」という
友人の言葉は実感があります。

それでも,数日おいて再び同じ海域に入ると新しい釣り糸が数本海中を
横切っています。これは,イカ釣り用の餌木(エギ:エビのような形をした実際には
食べられないが魚等の摂食行動を誘発するもので,最後尾に鋭い針が2重に
取り付けてあり,これをあたかも生きているように海中で操作するもの)が
海底のサンゴや岩,あるいはソフトコーラルに引っかかり途中で切れた糸です。
糸の先端には必ず餌木(エギ)が見つかります。



この海中を漂う一本の長い糸(数十メートル)が波や潮の動きで前後左右に
流されるうちに何処かのサンゴに絡みつき,あるいは最初に引っかかった
所に次第に集まり,絡んで団子状になるのだと思います。
釣り糸が団子になると,その塊に海藻が付着し,潮の流れで揺れ動きます。
このとき,際限なく生きたサンゴのポリプを引っかき回し,いずれサンゴは
死んでしまうのです。



また,海藻が付着した糸の団子には,小さなカニなど甲殻類の住処と
なります。回収した釣り糸にも沢山の生き物が住んでいました。
これを分類し,生きているものは,海に帰しましたが大変な手間がかかり
ました。
釣り糸は,生物が住み付く前の早い段階で撤去するしかありません。
サンゴのダメージが少ない無いうちに回収するのが鉄則です。
それには,一週間に一度は回収しないと直ぐに元通りになるでしょう。

釣りの人たち全てが悪いわけではないと思います。
海底の構造に応じて釣りの技術を用いれば,海底に引っかかるリスクは
かなり回避できるかもしれません。
おそらくこの海域の特徴を知らないのかもしれません。
海の中を知らないのなら,まず,知ってもらうのが一番でしょう。
海の中でたくさんの生物が釣り具の影響を受けていることを
知ってもらいたいと思います。
凪(なぎ)の日に水面から海中を見通すことはできますが,実際に海中に入り
地形やサンゴの状態を見なければわからないと思います。
下の写真が釣り場の前の海底です。


先日,砂辺の浜でお話をした釣り人がすまなさそうに話しをしてくれました。
この方は,かなり熟練した釣りの技術を持っていました。
そして,自らも責任を感じ,環境破壊の見地から,素潜りで釣り糸や
餌木(エギ)を回収しているそうです。
このような方ばかりであれば,社会の問題も激減するでしょう。

下の写真は,今回撮影したサンゴの画像です。
まだまだ,この砂辺全体では,あちらこちらにこのような釣り糸の塊が
サンゴを苦しめています。



次の写真は,ソフトコーラル(骨格を持たない柔らかいサンゴ)に絡みついた
釣り糸に「ウミシダ:海藻の様に見えますがりっぱな動物。」が引っかかっており
私が釣り糸を撤去すると,絡んでいた足3本が切れてしまいました。
「ウミシダ」は足3本を失ってしまいました。慌てて逃げて行きました。
おそらく数日,もしくはそれ以上,釣り糸に引っかかったまま拘束されていた
のでしょう。



下の写真は,釣り場からほど近いところで撮影しました。
黒い魚(目は濃いブルー)が「ホンソメワケベラ」の医院に身体の寄生虫を
とってもらいに来たところです。とても気持ちよさそうにしていましたが
口先に妙なものを見付けました。
「釣り針」です。写真ではわかりにくいかもしれませんがUの字の金色の
釣り糸が口を貫通しています。糸は口先のところで切れていました。
痛みはあるのでしょうか。食べ物を取るときにじゃまになるかもしれません。
人間なら自分で外せますが魚はできません。一生このままです。



今日まで回収した釣り糸や鉛,餌木(エギ)の写真です。
タライの写真は分類前。糸や釣り具の種類を分類したのがその次の写真です。
回収した鉛は169個,餌木(エギ)は59個でした。友人宅に保管してある
ものを含めるとまだまだあります。




ここで,釣り糸による自然界への弊害の話をいったん止めて,現在の
食糧事情と命を頂くことについての私見を述べてみたいと思います。

「釣り」はポピュラーな娯楽です。
釣りを趣味にしている人はたくさんいるでしょう。
かつて私も高校生までは,その一人でした。
釣りは,気軽に出来る遊びでもあり,息抜きともなるでしょう。
天気の良い日に潮風にあたり,海を見ているだけでもでストレスが
解消されます。愉快な映画も出来ています。

私が釣りをやらなくなったのは,魚や海の生きものたちのことを良く知ってから
のことです。今では彼らは,私にとっては家族みたいなものです。
だから,釣られる魚を見たり,海中で釣りの弊害に苦しんでいる
生きものたちを見ると,とても悲しくなります。

よく新聞に大物を釣ったという写真付きの記事が掲載されています。
この記事をみるたびに一つの思いが頭をかすめます。
それは,釣られた魚も最初は父と母がおり,卵から誕生し稚魚となり
大海の捕食者たちや自然の猛威から何とか生き延びてきて,やっと
大きくなったのです。そして,何十年も生きてきて海の中のことは
経験的に私たちより遙かに知識があるでしょう。ただ,その知識を
人間と共有できないだけです。ある意味,海の大先輩ということです。
果たして釣り上げた魚を見てそんなことを思う人はいないでしょうね。

きつい言い方ですが,釣った人は,なんとか生き延びてきたその魚の
「命」を奪ったのです。
奪うだけの正当な理由があるでしょうか。
その日が何十年と生きてきた,その魚の命日となるのです。

彼らは,人間の思いとは全く別の次元で生きています。
海の中では,食うか食われるかの大変厳しい世界です。でも,人間の
ように「珍味」だからとか「楽しい」からという理由で他の魚を補食したりは
しません。みんなその日の命を生きるためです。
最低限生きるために,自分の命を守り子孫を残すために,熾烈な生存
競争をしているのです。
だから力の強弱はうっても海の中はとても「フェアー」な世界だと思います。

人間もかつては,その日に生き延びるために大切に家畜を育て,そして殺し,
魚を捕りに行き,畑で野菜を作っていました。
そして,それらのものに感謝をしていました。
「いただきます。」とは,命を頂くことだといいます。
私たちも,他の命を奪って自分の命をつないでいます。
やむを得ないことだし,生態系の中の一員として当たり前のことです。

しかし,現在,この食べるための命のあり方が,違う方向へ向き始めて
いるのではないでしょうか。
先ほども言いましたが,自らの命をつなぎ止めるために命を頂くのは
正当ですが,「珍味」だからとか「おもしろいから」という理由で生きものの
命を奪っていいのでしょうか。私には,どうもこのあたりが納得できないのです。

釣りだけではありません。猟銃を使ったハンティング,水中銃を使った魚突き,
他にもたくさんあるでしょう。これらが,現在の豊かな食料事情のなかで
生きるために必ず必要な行為だとは思えません。

前述した,砂辺で出逢った釣り人に嫌悪を抱いててるわけではありません。
私はその行為が嫌いなだけで,人が嫌いな訳ではありません。
戦争が嫌いですが兵隊の一人一人の人が嫌いでないのと同じです。
この点は誤解されたくはありません。

釣り糸の回収の話から,とうとう「命」を頂く話にまでおよんでしまいました。
えらそうなことを言っているかもしれませんが,人間がかつてそうだったように
自然界に対しもっと謙虚になれば,あらゆる生き物が住みよい星となること
でしょう。


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