2011年07月02日
工事の終了
本来の私の生きものに対する視点は,彼らの命の輝きを写真に収め,それを
みんなに見て貰って生きものの命の大切さを伝えることだ。
でも,この東江の工事に関わってからは,負の部分ばかり見てきた。
だからいつのまにか,そちらの方ばかりに目が行ってしまった。
自分の本来の姿勢を失いかけダークサイドにはまっていた。だが,今は大丈夫だ。
元に戻っている。
が,しかし書かなければいけないことはダークの部分でも書かなければ
ならない。でないと,埋められた生きものたちは浮かばれない。
どうやら東江高潮対策事業の工事が終わるようだ。
去る3月23日から自然の海への砂(砂はチービシの海砂)の投入
工事が開始されたが,3ヶ月と少しの期間で小さな海は人工の浜と化した。
3ヶ月前にはたくさんの生きものたちが元気に暮らしていた海だった。
信じられない。

6月29日午後から北部土木事務所の所長などが現場に来て海中を視察した。
所長らは,始め塊状ハマサンゴを見て,その後,汚濁防止膜の外に出て水道部を泳いでいた。
移植サンゴでも見たのだろうか。工事区域内は白濁しているし,水道部も
白濁が外洋に流れ出ているのでほとんど何も見れなかったはずた。



東江の自然の海は過去の埋め立てに続き再び埋められて痛めつけられた。
そして3月23日の砂投入開始から2.3日してこの海岸の入り口にある
そば屋が移転した。ここは埋め立て地だ。
そして,現在はブルーシールという大手アイスクリーム屋の
チェン店がドカンとこのビルに入っている。

アイスクリーム屋とビーチ(実際は高潮対策の施設であって遊泳できる
ビーチではない)。
人が集まりにぎわっていくのか…。いづれ北谷町の海辺のように。
どう変貌するのか見届けたい。
今は浜に沿った辺りは駐車場か空き地だ。
ここに何ができていくのか。このようなケースは日本全国にあるかも
しれない。
東江の高潮対策事業で私が最も怒りを感じていることは,無数の生きものたちが
人間の勝手な都合のために命を奪われたことだ。
そのことをこれから伝えていく。
みんなに見て貰って生きものの命の大切さを伝えることだ。
でも,この東江の工事に関わってからは,負の部分ばかり見てきた。
だからいつのまにか,そちらの方ばかりに目が行ってしまった。
自分の本来の姿勢を失いかけダークサイドにはまっていた。だが,今は大丈夫だ。
元に戻っている。
が,しかし書かなければいけないことはダークの部分でも書かなければ
ならない。でないと,埋められた生きものたちは浮かばれない。
どうやら東江高潮対策事業の工事が終わるようだ。
去る3月23日から自然の海への砂(砂はチービシの海砂)の投入
工事が開始されたが,3ヶ月と少しの期間で小さな海は人工の浜と化した。
3ヶ月前にはたくさんの生きものたちが元気に暮らしていた海だった。
信じられない。

6月29日午後から北部土木事務所の所長などが現場に来て海中を視察した。
所長らは,始め塊状ハマサンゴを見て,その後,汚濁防止膜の外に出て水道部を泳いでいた。
移植サンゴでも見たのだろうか。工事区域内は白濁しているし,水道部も
白濁が外洋に流れ出ているのでほとんど何も見れなかったはずた。



東江の自然の海は過去の埋め立てに続き再び埋められて痛めつけられた。
そして3月23日の砂投入開始から2.3日してこの海岸の入り口にある
そば屋が移転した。ここは埋め立て地だ。
そして,現在はブルーシールという大手アイスクリーム屋の
チェン店がドカンとこのビルに入っている。

アイスクリーム屋とビーチ(実際は高潮対策の施設であって遊泳できる
ビーチではない)。
人が集まりにぎわっていくのか…。いづれ北谷町の海辺のように。
どう変貌するのか見届けたい。
今は浜に沿った辺りは駐車場か空き地だ。
ここに何ができていくのか。このようなケースは日本全国にあるかも
しれない。
東江の高潮対策事業で私が最も怒りを感じていることは,無数の生きものたちが
人間の勝手な都合のために命を奪われたことだ。
そのことをこれから伝えていく。
Posted by 有光智彦 at 01:41
│名護市東江 人工海浜
この記事へのコメント
お疲れ様です
北谷は以前、どんな町だったのですか?
北谷は以前、どんな町だったのですか?
Posted by ユキ♂ at 2011年07月04日 22:17
ユキ♂ 様
私も詳しくは知らないのですが,昭和50年代の航空写真を見ると,
現在の58号線から海側に広大な埋め立て地が出来,
ここに外人住宅らしき建物が点々と並び,北側にはなにかの
養殖池が写っています。
おそらくダイビングショップやさまざまな飲食店などは無かった
ことでしょう。
現在はダイビングショップ無しには考えられない地域の特色と
なっています。
少し前までは,深夜米兵や若者が集まって騒ぎ廻る治安の悪い場所
だったことが新聞の記事が伝えています。
宮城海岸は,現在もテトラポットと直立式護岸に代わる
護岸を造るための高潮対策事業が行われています。
やはりコンクリート護岸で,さらに海にせり出し,海岸部の環境を
破壊しています。それに隣接する遊歩道もゴージャスとなり,
夕方など人々の往来がたえません。
他にも知人に聞いている過去の話もあるのですが,自分が
見て知ったことではないので,ここではひかえたいと思います。
子細にお伝えすることができなくてすみません。
私も詳しくは知らないのですが,昭和50年代の航空写真を見ると,
現在の58号線から海側に広大な埋め立て地が出来,
ここに外人住宅らしき建物が点々と並び,北側にはなにかの
養殖池が写っています。
おそらくダイビングショップやさまざまな飲食店などは無かった
ことでしょう。
現在はダイビングショップ無しには考えられない地域の特色と
なっています。
少し前までは,深夜米兵や若者が集まって騒ぎ廻る治安の悪い場所
だったことが新聞の記事が伝えています。
宮城海岸は,現在もテトラポットと直立式護岸に代わる
護岸を造るための高潮対策事業が行われています。
やはりコンクリート護岸で,さらに海にせり出し,海岸部の環境を
破壊しています。それに隣接する遊歩道もゴージャスとなり,
夕方など人々の往来がたえません。
他にも知人に聞いている過去の話もあるのですが,自分が
見て知ったことではないので,ここではひかえたいと思います。
子細にお伝えすることができなくてすみません。
Posted by 有光智彦 at 2011年07月05日 17:22